カテゴリ: 生き方

最近読書する機会が増えまくり、気づけば本棚には数十冊の本がひしめき合っています(笑)

読書したら、アウトプットするのが一番なので、今回はその一環として、「やりたいことの見つけ方」に関する本の要約をまとめてみました。


要約

やりたい事を見つけるには、まずは自分の「好きな事」「得意な事」「大事にしている価値観」を見つける事が必要である。

 好きな事とは、


「興味のある分野」の事。(名詞である)


例、「自転車」「ゲーム」「心理学」「ファッション」「料理」etc…


得意な事は、


「自分が意識しなくても自然とできること」

(やっていると楽しい事)(動詞である)


例、「人の気持ちを考えられる」「明るい性格で周りを楽しませる」「整理整頓ができる」「問題の本質を見抜き、解決に導く」「人の悩みをただ聞いてあげる」「創造性を発揮して、新しいアイデアを生み出す」



好きな事で仕事をするのは間違い。「好きな事を得意なやり方で仕事する」が正解。得意な事や好きな事が一緒でも、双方が違えばやりたいことも違う。



「好きな事が心理学」で「得意な事が人の気持ちを考えられる」ならば、「心理学を利用して、人の気持ちを理解する事」がやりたい事。


「好きな事が心理学」で「得意な事が整理整頓」ならば、「心理学を利用して、整理整頓をする術を人に伝えていく」などがやりたい事。


人には得手不得手があるので、例えば同じ心理学が好きな人でも、人の気持ちを理解するのが苦手な人もいれば、人の話をじっくり聞くのが苦手な人も居る。なので、同じ好きな事があっても、人によってやりたい事が違う。


さらに上記に加えて、それを「何のためにやるか」が重要。



・心理学を利用して人の気持ちを理解する。そしてその人たちに「穏やかな気持ちになってもらう」ために仕事をする。


何のためにやるか「穏やかな気持ちになってもらう」


やりたい事は「仕事の目的のための手段」でしかない


例えば、心理学の他に料理が好きだとしても、その料理を仕事にする事で「穏やかなきもちになってもらう」という仕事の目的を達成できなければ、それれは自分のやりたい事ではなく、ただの趣味である。


自分の価値観(大事にしている事)が内側に向くとそれが「人生の目的」になり、外側に向くと「仕事の目的」になる。例えば穏やかな気持ちになりたいと自分が思っているなら、それは自分が穏やかに生きたいと言う人生の目的となる。それを外側に向けると、「穏やかな気持ちに周りの人もなって欲しい」となり、それが仕事の目的となる。


よってやりたい事の公式は下記である。


好きな事(興味がある分野)✖️得意な事(意識せずとも自然とやっている事)✖️価値観(大事にしている考え)


三要素のどれが欠けていても、やりたいことは見つからない。好きな事がわからなければワクワクできないし、得意な事がわからなければ、自分のその強みの生かし方がわからない。価値観を理解していなければ、何の目的を持って仕事をしているか方向性が曖昧になる。


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大事な事(価値観)の見つけ方


質問、「あなたがつい人におせっかいしてしまう事とは?」


この質問の答えが例えば「すぐに人の話に首を突っ込む」だったとしたら、なぜそれをするのか考えてみる。


おせっかいとは意識せずとも自然とやってしまう事である。すぐに人の話に首を突っ込む理由を考えてみると、「人の話を聞いて、問題解決してあげたい」からであるとしたら、それが自身の得意な事であり、「人の問題解決に助力したい」と言う価値観である。


「弁護士」や「臨床心理士」はスキル、知識であり、それらを生かして仕事を探すのではなく、そのスキルを使って何ができるかを考える事が大事。


質問


「いつもイラッとする事は何ですか?」


この答えには自分の得意な事を見つけられる要素が含まれている。得意な事は「考えなくても自然とできる事」なので、できない人がいるとイライラする事が多い。



質問


あなたが感じている「問題意識」は何ですか?


この質問には好きな事を見つけられる要素が含まれています。例えば街中で騒いでいる人が問題だと思っている場合、その根幹には「穏やかに生きたい」と言う考えがあり、穏やかに生きるためにはその人の心理を知らないければならない。よって人を学ぶための「心理学」が好きである。


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以上です。一例として心理学や心理士などが登場しますが、あくまでも一例です。自身に置き換えて考えてみてください。


私もこの類の本を読んで衝撃を受けました。今までは私も「なりたい職業」で仕事を選んできました。ですがそれは確実に間違っていました。


大事なのはどう言う職業に就きたいかではなく、「自分の価値観を実現するためにはなにをしなければならないか」なのです。


それらを自分の興味のある事と掛け合わせて仕事を探す、もしくは世の中に無いなら作り出すのが正解なんですね。


私の場合自転車が好きで自転車店にもたくさん勤務してきましたし、自身で自転車の出張修理も経験しています。ですが良く考えてみると、何故自転車が好きでそれを仕事にしているのかを再考しなければ、今の仕事をやっている意味はないのだと気付きました。


私の場合、自己分析した結果、


好きな事(興味がある分野)はアウトドアでした。自転車はアウトドアの一部として好きだったわけです。事実私は今もキャンプは大好きですし、野外活動が好きです。


得意な事は、問題解決に向けて何としてでもそれらに立ち向かい、ユーモアや創造性を生かして問題解決に導く事でした。


そして大事な価値観は、人に色んな事にめげずにチャレンジしてもらい、人の背中を押す応援がしたい。その結果感謝の気持ちを再認識してもらう事。でした。


これらを組み合わせると…


「自転車で旅をしながら、問題を抱えている人と共に問題解決に向けて対話をする。その結果その人たちの問題意識が少しでも前向きになり、行動にうつしてもらって、人生を変えていく手助けをする」


と言う職業が思い浮かびました!なるほど、私は旅がしたかったんだ(笑)けどすごく無いですか?こんな職業多分どこにも無いわけで、ブルーオーシャンもいいとこですよ(笑)


と言うわけで、もう私も40歳をすぎましたが、まだまだチャレンジする事を諦めてはいません。導き出された新たな職業を創造すべく、行動にうつしていきたいと思う。


ここまで自己分析をしてみると、「自転車屋」になるのが夢では無い事が分かりました。自転車店では私の価値観が実現できないからです。あくまでも私の中の自転車という存在は、価値観を手助けしてくれる道具だったというわけです。なるほど…


皆さんもやりたい事が見つからない場合、もしくは今やっている事に疑問を感じる場合は、自己分析をしてみて、今一度立ち止まって考えてみてもらえると幸いです(^^)


※本記事は以下の書籍の要約です!めちゃくちゃ参考になったので、ご興味のある方、もしくは私の拙い説明でわかりにくかった!という方はぜひご覧下さい。




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長男が不登校になって随分経った。週に一度行けば良い方かな(^_^;)

昨今は、不登校でも良い!と力強く発信される世の中になってきたが、私は子供の不登校には問題があると思っています。これからその話を覚え書きとして記しておきます。

学校に何をしにいくのか
学校に行かせる、または自ら行く目的は色々あると思いますが、当たり前の事だけど、「勉強する為」です。

私の場合は学校なんて遊びに行っていたので、長男の不登校の気持ちに中々寄り添えてないので反省だが、学校は色んな事を学べる所です。

こんな事を言うと昨今は色んな価値観があるから押し付けるなと言われそうですが、学校には行けるなら行って欲しいと思うのが本音。

何故なら、不登校の子を持つ親なら分かりますが、学校は勉強するにおいては「非常にコスパが良く、親の時間にも余裕が生まれる」からです。

学校のコスパの良さ
義務教育の在り方はとりあえず置いといて、やはり個人的には義務教育は非常にコスパが良いと思います。

子供が不登校になると分かりますが、フリースクールや塾、または日中の食費など、何かと子供が在宅の場合、明らかに学校よりも学ぶ事に置いてお金がかかる事は否めません。

義務教育なら給食がある学校であれば食費が安くなるし、教材での費用もたかが知れてる範囲です。正直こんな金額で子供達が勝手に勉強してくれるなんて、なんと有難い事かと痛感します。

もちろん工夫次第でどうとでもなると言えばなりますが、それを楽しむ余裕がある家庭が全てではありません。やはり学校に行って勝手に自ら学んでくれた方が親としては非常に楽ですね。

親の時間を消費する問題
あともう一点、金銭面よりも問題になるのが、「子供が不登校気味になると、親の時間がかなりそこに費やされてしまう」事です。

私の子供も不登校気味になり2年ほど経ちますが、その間子供のためにあらゆる手段を試し、あらゆる団体に支援を求めてきました。

そこに費やした時間は計り知れず、相当なものになります。休みの日は子供の相談に費やされ、時に送り迎えは必須で労力を使う。自分で行ってさえくれれば楽なんですが…一人で行くのは心細いと言われて、送り迎えに行くのは正直大変なんですよね。

お昼ご飯も親が自分の分だけ用意するなら、極論なんでも良いのですが、やはり子供が居るとそれなりに何か作らなければなりません。その労力も正直毎日となると大変なんです。

うちの場合引きこもってゲームばかりしているので、家の手伝いも中々してくれず…ご飯も食べる時だけリビングに来て、食べ終わったらまた部屋に戻る。家に居る間何かしら家事の手伝いでもしてくれたら助かるんですがね(^_^;)

綺麗事はしんどい
こう言った話をすると、「子供のために親が時間を使うのは当然だ!それが親の仕事だろう。」と言われそうですが、時間は親にとっても大事な物なので、正直それが子供のために消費されるのは親の人生を大きく左右します。

親だって人間なので、当然自分のやりたい事もあるわけです。不登校にさえならなければ、膨大な時間を自分のために充てる事ができます。それは人生を変えるレベルの学びができる程です。

ですので、極力学校に行ってもらった方が、親としても充実した人生のために時間を割く事ができるのです。

私は不登校の子に、親の都合があるから行けと言いたいのではありません。皆色んな事情がありますし、不登校の子を持つ親の気持ちも十分理解しています。無理矢理行かなくても良いし、最終的には本人に任せれば良いと思います。

ただ、やはり家で親が義務教育レベルの勉強を教えるのは非常に難しくて大変です。フリースクールや塾は非常にお金がかかるので、貧困世帯には難しい話。やはり勉強する事において、学校に勝るものは無いと感じます。

結論。学校には行った方が良い。親のためにも自分の為にも。ただ、精神壊してまで行く必要は無し。ただ、親はそれを受け入れるには相応の覚悟が必要だと悟るべし。

「辛いよね。行きたくなかったら行かなくても良いよ。」と言うのは簡単ですが、じゃあその子のためにどうするのか?をしっかりと考えていかないと、親も潰れてしまう。

親だって人間。自分の時間も確保したいし、平和に暮らしたい。不登校は解決するのにお金も時間もかかるのだ。

はい、どうも。新年早々から何やら穏やかでは無いお題になりますが、実はうちの長男が今、

絶賛不登校中!(゚∀゚)

ネタにしている場合では無いのですが、暖かく見守っている訳であります。さて、長男が不登校になってから、学校とのやりとりがたくさんある訳ですが、そんな中で私が考えている事を、備忘録としてここに残しておきます。
担任の対応に不満
誤解の無いように言っておきますが、学校はよくやってくれてますので、感謝はしていますよ。じゃあ何が言いたいんやと。

校長先生と教頭先生は理解があり、気長に接してくれるんだけど、長男の担任に少し不満が残るんですよ。

長男は実は少しだけ勉強が苦手で、いわゆる支援級に入っています。毎朝担任から電話がかかってくるんですが、

「何とかして来させて欲しい。皆と登校してもらいたい」と何度もせがまれる。

長男曰く、「担任が嫌だ」と言うのが不登校の理由らしいが、そりゃそうだろ。と思う節がいくつかあります。
何故そんなに来させたい?
そもそもとして、いきなりですが、私は基礎学力さえあるのであれば、不登校だろうが何だろうが構わないと思っているんです。

良く学校は「集団行動を学ぶ場だ」とも言われますけど、子供は大人の奴隷ではない。好きなように考えて「自己責任」で勝手に生きれば良いと思っている。

私が子供に学校に行かせる意味は、社会に出て不自由しない基本的な学力を付けて欲しい。と、それだけである。

と言うか、むしろ不登校だろうが何だろうが、このご時世WEBで良質な教育を無料で受けれる時代だ。学校に行かないなら行かないで、それらを親が実行すれば問題無いと思う。

私のダメなところは、「極度の面倒くさがり」な所で、子育てが放置気味で、子供とのコミュニケーションがあまり取れていないのが問題なので、不登校をほったらかしておくと、別の意味で駄目になる可能性があり、そこが一番大事な所ではあるのですが…(^◇^;)
子供の意思の尊重
まずもって、担任は何としても長男を学校に来させたいようだが、本人の「行きたく無い」と言う意思の尊重はどこへ行った?

気持ちはわかる。そりゃ学校側からしたら、親と同じ気持ちだと思うよ。基礎学力だけでもつけておいてくれないと、今後本人が困るんだから。

校長と教頭先生は「ゆっくりで良いので、来たい時に来てくれれば良い」と言い、気長に待ってくれてます。しかし担任は何としても来させたいようで、少々子供に強気になりすぎている。

あり得ないと思うのは、電話で今日はどうですか?と聞かれて、今日も休みますと言うと、何と!ため息をつかれて「今は卒業間際で、非常に大事なタイミングなんです。何としても来させる事はできないんですか?」と言われた事だ!何でため息なん?(゚∀゚)

どうやら私達両親は、何も言い聞かせていないとでも言うような、あからさまな態度。いや、こっちも毎日苦労してんだよ…声かけだって気長にやってるよ。

でも行きたく無いと言われりゃ、「そうなの?じゃあまぁ、行きたくなったら行けばいい。」としか言えないんですよ。
不登校の解決方法
さて、ここで私なりの不登校の解決方法を伝授しようと思う。同じ気持ちで過ごされておられる、親御さんたちに是非参考にして欲しい。

いくつかポイントはあるんだけれど、不登校において最も重要なポイントはたった一つだけ。

子供本人の意思が全て。

それだけです(゚∀゚)はぁ?何を言ってんだと言われるでしょうが、そもそも論として、先述しましたが、学校なんて基礎学力さえあれば、行かなくても問題無いし、本人が楽しいので行きたければ行かせれば良い。それ以上もそれ以下も無くないですか?

大抵の大人はこう言うはずだ、

・義務教育だから
・そう決まっているから
・学校に行かずして「学び」を得られない
・(特に理由も無く)行くものだから
・社会での生活を身につけるため

…などなど理由を挙げればキリがないくらい、こういう意見は出てきそうです。

が、しかし!

一番大事なのは、子供自身が楽しく学ぶ事であって、遊びに行くくらいの感覚で毎日を学校で過ごせる事がいいんじゃない?って思います。

私自身も、学校なんて遊び感覚でしか登校してませんでしたよ(笑)そんなもんでしょ。勝手に学校を神格化する一部の大人は、それが子供の肩身を狭くしている事に気付くべき。

不登校、実際は何が問題?
さて、ここで不登校の何が問題なのか考えてみよう。


一つ目。親が子供を見ないといけないので大変な事。


以上!(゚∀゚)


え?それだけかって?えぇそれだけです。学校に行ってくれる方が、家事も進むし、色んな用事もこなせます。おまけに昼は給食なのでお昼は適当でも良いですから(笑)


子持ちの方なら理解できるでしょうが、子供が家にいると、色んなイレギュラーが発生したり、何かと子供に時間が取られるんですよ(^◇^;)


家に子供が居るんだから、コミュニケーションとってあげればいいじゃん?って思ってる方、気持ちはわかりますが、大人には大人でやる事はあるのよ(^◇^;)


子育ては大事で、子供とのコミュニケーションを取れとよく言われるが、親の心身も共に健康であらねばならないのですよ。子供が家にいるとそりゃ叱ったり色んな摩擦がまた生まれるのも事実。


全てを受け入れて気長に接する事のできる、できた人間ならよいけど、やっぱり親も人間。子供が家にいるとストレスもたまるもんだ。

親と子の程よい距離感
親と子には程よい距離感が必要である。ある程度の放置も必要。

子育てで疲れてる人は、

・親と子は親密にしなければならない


と言う幻想を抱いて、子供に近づき過ぎようとしてしまっているのかもしれない。大丈夫ですよ、ある程度放っておきましょう。彼ら彼女らは、私達大人が思うよりも賢いですよ。


ある程度大きくなれば、それこそiPadとか与えて放置とか、不登校の子には良いと思いますよ。手抜き?いや、それは断じて無い。

自我が芽生えて、自分の頭で考えて行動するようになると、世の中の色んな事に興味を持つ。情報や感情って、思ったその時に、一番フレッシュな時に調べないと意味が無い。だから、興味を持ったらすぐに自分で調べてもらう。

そうして世の中の事を学んでいく。ギガスクールが始まったとは言え、学校で好きな様に情報を得れるわけでは無い。一番大事なのは、「自分の好きな事、興味のある事」を考えついたその時に調べる事。そして得た情報を咀嚼して行動に移すこと。

それができれば、不登校だろうが何だろうが、「自分で考えて、自分で行動する」大人になれます。良い時代だと思います。
なるようにしかならない
これを言っちゃなんですが、親がどう足掻こうが、「本人の意思と行動が全て」であって、子供たちは本来、親の手の届かない所にいる存在なんだと認めましょう。


親なら、誰だって子供に幸せであって欲しいし、健康であって欲しい。

でも、イコールそれを「学校に行く事」と結びつけてしまうのはあまりにも安易すぎる。学校に行かなくても勉強ができる昨今、親がその気になれば不登校だろうが何だろうが、勉強には問題無い。

子供が毎日楽しく、元気に過ごしてくれるなら、学校に行く選択肢は補助的な物と考えよう。そうすれば親も気が楽になるよ!

「最低限の基礎学力を与える事」さえ出来ればあとは自由!そう、子供の自由なんだ!大人になって困る事なんて、基礎学力だけじゃないか。

そして、子供が学校を休んだなら、家の手伝いをいっぱいしてもらおう。一緒に家事をしよう!生活力もあがるし、感謝の気持ちも生まれるよ!学校の勉強よりも役に立つ事もたくさんあるよ。
親が疲弊しない事が最重要
最後になりますが、子供が不登校になったら、まず最優先事項として、「親が疲弊しない」事を念頭において下さい。


・近所の目なんか気にしなくて良い
・いつか行ってくれたら良い…くらいの軽い気持ちで接する
・迷わず他人を頼る
・自分のストレス解消源を確保する
・子供も所詮は他人。コントロールすることなんて不可能

これらの事を念頭に置きつつ、あなたが健康でいてください!あなたが倒れたら本末転倒です。子供も大事ですが、穏やかに子供に接するためには、「あなたが幸せで、健康的」でなければ意味がありません。

自分が苦しいと子供に接する余裕が無くなり、キツい態度しか取らなくなってしまいます。あからさまに、自分の事しか考えないのはだめですが、「子供は親のメンタルと同調する」ものなのです。

あなたが笑顔で、

なんとかなるだろ!

くらいの軽いノリで毎日を楽しく過ごしてあげてください。不登校なら不登校で、時には放置して、子供が求めるならば、色んな体験を一緒にしましょう!

私の子も今不登校中ですが、さて、明日は一緒に何をしようかなぁ(^^)




はい、どうも。年末からいきなり、

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と、言われること覚悟で言いますが、

「コロナ災禍にも一定のメリットはあった」

と考えておる私です。そう、時は年末です。通常ならこの時期はあの馬鹿馬鹿しい日本の伝統文化「忘年会」の時期ですよね(゚∀゚)

でも今年はほぼ開催されて無いでしょう。

さて、これのどこがメリットって、そりゃ単純な話です。今まで、

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と、○良の大仏ばりのお断りの手癖スタイルで、「本当は参加を断りたいのだが、渋々参加していた方々」が嬉しくて仕方ないからです!(゚∀゚)

そう、何と今年は忘年会を断るどころか、そもそも開催すらされない会社が殆どでしょう。これは新年会にも当てはまりますね(^^)

コミュ障の方にとっては非常に良い事で、今年は合法的に、かつ合理的に忘年会が開催されない!(笑)今まで断るに断れなかった、気弱なあなたも今年は安心です。
いや、そもそも忘年会、新年会要らなくね?
何で未だにああやって、年末年始に馬鹿騒ぎしたい人が居るのか謎です。私は会社のそう言った類はほぼ断ってきました。だって忙しいし、そんな無駄な時間を使っているくらいなら、家で勉強しましょうって話です。

どうでも良い上司の話を聞いて、そんなに美味しくもない大衆料理を食べて、参加費取られるとか無駄の極み。

私が行くに値すると思うのは、

・気の合う人間とだけ、上下関係無く豊かな時間を共有できる(会社の嫌いな人間は不必要)

・仕事の愚痴を言わず、前向きな未来の話だけをする

・健康的なメニューを美味しくいただく

・タバコを吸う人間、場所はアウト

こんな所でしょうか。しかも、用事がある時はお互いに干渉しないことも条件。別に年末年始に話をする必要なんて無いよ?いつでも良くね?って話よ(笑)

本当に参加したいの?


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もうそろそろ令和だし、強制参加をさせたりするオーラがバリバリの会社も少ないだろうが、まだあるのも事実。

参加したくも無いのに行くのなんて、人生の時間の無駄遣いなんですけど、居ますよね…嫌々行く人…

すいませんが、私には理解不能です。本当にあなたも、周りの人間も幸せになる時間なら良いですが、どうでも良い人間と、どうでも良い時間を共有する事に意味あります?

今年は忘年会や新年会の類が無いでしょうが、無くても仕事に影響はありませんよね?皆が皆行きたい訳でも無いので、全てハッピー!空いた時間を家族と過ごすなり何なりとしましょうね(^^)

さて、色々とあった激動の年でしたが、来年も皆様にとって、有意義であり健康な年でありますように。良いお年を!(^^)







お久しぶりです(笑)


さて、今日は学校の備品について。この春に子供が中学にあがるにつれて、色々と制服などの無駄な物を買わされる訳ですが、そのラインナップを見る度にうんざりします…

あれ?これ、そもそも要らなくね?
この新年度の子供の備品購入ですが、親が一番思考停止しちゃう時期なので、釘を刺さなければなりません。


と言うのも、落ち着いて備品の内容を確認してみて下さい。これ何度使うのかと言う物がちらほら…


例えば辞書や、剣道に使う面下と言う謎の物体…など意味不明な物がいくつかあります。


え?辞書は要るんじゃない?って考えてるあなたは、時代の波についていけてないおバカさんです。世の中はギカスクール時代に入りました。そう、タブレットがあれば辞書なんて要らないんです。むしろ教科書すら要らない。


と言うか、辞書を未だに買わそうとする魂胆が意味不明です。あなたも良く考えてみて下さい。中学校の頃、どれだけ辞書引きました?(笑)頻度から考えても辞書は不要です。


必要だと豪語する人間は、完全に思考停止人間です。時代は変わったんです。勉強の目的は辞書を使って意味を調べる事です。そこに電子も紙も関係無いのです。

レンタルで済む物がたくさんある
私はそもそも制服は不要派の人間です。制服には毎日服を考えなくても良いと言う、時間節約のメリットがあるため、一概には言えないですが、そもそも論として選択制にすれば良いんじゃないの?


着たい人間は買えば良いし、私服が良い人は私服でも良いでしょう。服装を自由にすると規律が無くなり、学校が荒れるとか意味の分からない理論がありますが、それはそもそも服装関係無いですね。


その理論が正しければ、制服を着れば規律が守られていると言う事になります。確かに私服にすればそれなりに問題は発生するかもしれませんが、そもそも生徒との信頼関係が一番重要であり、服装は関係ないです。開放的になると気分もあがり、学校生活がより充実するのではと思う。


え?私服にするとお金がかかるって?意味不明ですよそれ。そんな事家庭の問題です。どうでも良い事であって、私たちが首を突っ込むことではありません。それでその家が破産しようが何だろうが、それはその家庭が選んだ結果です。


学校は面倒な事を避けたいんですよ結局。私服にして問題が起きても、それと向き合うのが面倒なだけ。思考停止。


そもそも、制服があったとしても、レンタルで良くないですか?(笑)汚いから嫌だと言う人は私服にすれば良い。ウエディングドレスとか着物とか、レンタルするじゃないですか?それと何が違うのでしょう!そうか、ウエディングドレスは汚いんですね!(笑)


その他、剣道の面下ごときは、手拭いで代用すれば良いし、数回授業で使って使い捨てですか?エコでは無いですね。感心しません。使い終わって家にあっても用途がありません。ケツを拭いて捨てるくらいでしょうか(゚∀゚)


面下もちゃんとクリーニングして、学校側が貸し出せば良いだろ。それが嫌な人間のみ購入させればいい。どうして買うしか選択肢が無いの?

入学時から思考停止を植え付ける、日本の教育現場
私が一番今回言いたい事は、選択肢をもっと与えて欲しいと言う事。入学時からいきなり右へ倣えは頭おかしいです。選択肢を与えて、より人間らしく大人らしい思考法を、子供達になんで与えないのでしょう。


自分で人生を取捨選択する練習どころか、軍隊のような根性論や、太古の思考停止理論を入学時から植え付け、自由を奪う。これが日本の教育現場の実情です。


子供達は与えられた選択肢が当たり前と受け入れますが、何だか不気味な話ではないですか?もう中学生にもなれば、自分の頭で考える事ができるはずです。


その背中を押すのが大人の役目であり、本当の教育でしょう。


以上、入学に関しての、必要な購入備品のプリントを見た感想でした。

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