2017年01月

仕事を変わりました。

自分の好きな自転車を売る仕事。何てステキ(笑)

前職に比べ、休みが減ったが給与はかなり上がったので、それはそれで良い。

ただね、解せない事があるのだよ。

基本的には月の休みは平均6か7日程のようで、毎週水曜日は定休日でお休み。

で、この定休日が曲者。定期的に、水曜日に客と朝から走りに行くイベントがあるようなのだ。

勘のいい人なら気付くと思うが、体のいい休日出勤みたいなもんだよね。

もちろんそれなりの手当てはつくようだが、私は正直、そこまでして自分の時間を切り売りしたくない。

毎週あるのかどうかは分からないけど、水曜日を客と過ごしてしまうと、一体皆いつ休んでいるんだろうなぁと思うんだけど…( ・∇・)

もちろん自転車は大好きだし、自転車で客と走るのも楽しかろう。だけど、プライベートを切り売りしてまで参加しなければならないのかと言うと、そうでもないと思う。

なぜ定休日にそれを設定したのか良く分からない。暗黙の了解で、水曜日に走りに行く事になってしまったら、休みが無いじゃん(笑)  

勘違いしてはいけないのだが、好きな事を仕事にするのは良いが、きちんとプライベートの時間は、それはそれで確保しなければいけない。

自営業ならまだしも、人に使われているならその辺り余計に意識した方が良いと思う。好きな事だからと我慢するのは違うと思うし、それを許すと、会社の思うツボだ。

そのうちそのような企業は、やりがいや好きな事を利用してくるようになる。断る理由があるなら、いくら好きな事をしていても断る勇気を持とう。

好きな事を仕事にするイコール、自分の時間を多く割くことではない。勘違いしないように。

もうすぐ仕事を変わるのだけれど、大学生のバイトの子と最後に色々話をした。

某宗教系の大学に行っていて、将来は家の協会を継ぐ事に悩んでいるみたいだ。

私は宗教に全く興味は無いのだが、ちょっと気になったので質問してみた。

私 「親が宗教を強制して、家の宗教関係の仕事を継げと言ってくる家庭ってあるの?」  

すると、「確かにそう言う家庭もあるのは事実ですね。まぁ自ら家の宗教系の仕事を継ぐって言う学生も多いですね。」

私 「へぇ。それで、その道を断って、自らやりたい事をやる学生ももちろんいるんだよね?

「そう言う学生も居ますが、少数派ですかねえ。まぁ長男とかだったら、大体は家を継いで、宗教関係の仕事をする子が多いですね。もうそれは小さい頃からそう言う風に育ってるんで。継ぐのは当然と言うか。」

いやぁ、本当に驚きですね。こんな洗脳みたいな事をやっている家庭があるんだねえ。

しかもこのような学生は、自らやりたい事があったとしても、家庭を継ぐ子もいるんだとか。

普通に考えて、成人したのならば、もう子供の人生なんて、自由にさせればいい。何でわざわざ親の宗教とかどうとかを考えなければいけないの?

だから宗教は私は嫌なのだ。自由じゃないじゃん。宗教自体の存在はいいのかもしれないけど、強制している時点で終わってる。小さい頃から継ぐのが当たり前って、本当に怖い考えで、子供の可能性を閉じ込めてるよそれ。

宗教を信仰するのは自由だけど、本人の意志以外でその宗教を継ぐのならば、そんな宗教の行く末はどうなるんだろうね。海外の事はわからないけど、とりあえずこの日本においては、宗教自体の信仰の仕方が一部おかしくなってないか。

そんな事を強制する親って、 何を考えて、何を恐れているのだろう。たかが子供がその宗教を継がなかったからと言って、何がいけないのだ。 

下記の記事でも述べたが、家の事なんて、継ぐか継がないかは本人の自由だろう。


そうやって若者の可能性を狭くするのだけはやめてほしい。やりたい事をやり、自分の人生は自分で決めていい。







ブラック企業は即刻潰れていいと思うわけだが、でも待てよ?とたまに思うのだ。

というのも、残業ばかりさせる企業はクソなんだけど、その残業を何の為に、誰の為にしているのかを整理しないと、この問題はいかん気がする。

日本は残業してるのに生産性が悪い事で有名だけど、そのような、何も意味の無い、付き合い残業は論外だけど、でもその残業が、私達の社会生活のクオリティを上げるための残業だとしたら、私達にも責任はあるのではと思うのだ。

接客のクオリティが世界的に見ても高いのは、残業というからくりが作り出した弊害なのかもしれないね。

もし私達の生活のクオリティを上げるために残業している人達がいるとして、では私達に出来る事は何かと言えば、突き詰めるところ、もっと大らかに構える事に尽きる。

残業を減らすと、恐らく日本の接客等のサービスのクオリティやスピード感は必ず落ちると思う。

けど、今の当たり前だと思っている事が実は当たり前でないのかもしれない。私達が贅沢すぎるのかもしれない。

もし本当にブラック企業や残業を減らそうと社会が動くならば、私達がもっと大らかに考えて、心に余裕を持って人に接するべきだ。

多少不便になるかもしれないけれど、その意識だけは持っておくべきだと思う。

その意識を持たずに、やれブラック企業だのサービス残業だの言うのは簡単だけど、あながちクソ企業だけの問題でもない気がするのです。

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